いつも不安と共に生きる人へ
なぜだかわからないけど
人生に対する不安がいつもある
何かをやってもやらなくても
人といてもいなくても
抜本的に根本的に不安
私自身はそんな感覚の中
人生の半分以上を生きてきました
その不安という感覚さえも
日常化し馴染みになり
自分の人生はこんなもんでしょうと
諦めている間はまだ楽でしたが
子供が生まれてこの問題は浮き彫りになり
子供を見るたびに苦しくてしょうがない
どうしていいかわからない
子供に発した自分の言葉はこれでいいのか?
常に自分は間違ってるんじゃないか?
私のようになって欲しくない
子供だけならず相手への私の言動はこれで
よかったのだろうか?
子供が大きくなる事も不安
生きてる事自体が不安で苦痛
そんな言葉が自分の頭から聞こえるのか
心から聞こえるのか身体から聞こえるのか
自分の内側は物悲しく寂しく冷たい
いつも不安で自分に自信なんてかけらもない
人といても1人でいても寂しい苦しい
そして誰にも言えない慣れ親しんだこの感覚
そんな時は根底に愛着という安心安全基地
の存在の仕方が状態がいびつであったり
ボロボロだったりしています
愛着という安心安全基地というのは
目には見えません物質化できません
身体の中にある感覚、体感覚だからです
身体の中に安心感という暖かい温度や
身体の中に安全感という守ってもらえたり
支えてもらったりする感覚
それらに対する信頼感なんですね
それが言葉や理屈ではなく身体の中に
どれだけ入っているか?なんですね
その感覚が身体の中にないと
安心する事は危険
力を抜くと危ない
と感覚になってしまいます
人と関係を持つ事自体が
不安な事、こわい事というように
人は危険という感覚になってしまいます
そうなるといつもこんな悩みや問題を
作り出すという事をしていきます
・いつも自分に自身がない
・子供を受け止められない(イライラする)
・相手の言動次第で自分の意志が揺らぐ
・いつも自分は不足している気がする
・誰かの賛同がないと自分で決める事が不安
・いつも間違えている気がする
・すぐに諦めてしまう
・人と関わる事が苦痛でこわい
そうなると自分の不足を外側からの
何かや誰かで埋めようとしたり
回避や避ける事で頭がいっぱいなど
依存の問題を今度は作り出していき
依存はやめられなくなっていきます
そこには自分の中に強い孤独感や罪悪感
存在自体が揺らぐ無価値感、絶望感
恐怖の感情感覚で自分の身体がいっぱいで
生きる未来に希望がとてもじゃないけど
見出せない状態になっています
これらの悩みって子供がいてもいなくても
自分が人生を生きていく上で問題になってきます
愛着という安全基地は人生に深く大きく
影響してきます
リトリーブサイコセラピー では
愛着という安全基地を育て温め直し
自分の人生に起きる問題を自分が解決していける事
その為に必須な心理的利得に重きをおき
自分の人生を選び直していきます
自分の身体や命が安心して存在できる事
安全であるという安全基地があると
それをベースに今度は
自分で自分を大切にしたり
自分で自分を守ったり
自分で自分を信頼したり
自己信頼への力が育っていきます
そんな心と身体という自分の内側は
自分の外側という現実に写し出されていきます
そして今度は自分が相手を大切にしたり
自分が相手を信頼したり
自分も支えてもらったように相手を支えたり
相手との関係性が利用や依存ではなく
暖かさや信頼という関係で繋がっていく事を
自分が選べるようになるのです
そうなると自分の人生って今まで
思い描いてきたものとは変わっていきませんか?
私は変わっていきました
生きる世界観は変わったのです
私は赤ちゃんを目の前にして初めて
命、生きるという事に直面しました
自分の安心安全基地は
自分の存在の仕方だけではなく
自分の人との繋がり方もダイレクトに影響します
なので愛着という安全基地がある事
それをもう一度育て直す事が可能な事
そんな心理のお話会をしたいなと思います
こんな悩みを持つ人におすすめです
・リトリーブサイコセラピーを知りたい
・いつも自分に自身がなく不安
・自分の言葉や本音が出てこない
・子供を受け止められない(イライラする)
・相手の言動次第で自分の意志が揺らぐ
・いつも自分は不足している気がする
・誰かの賛同がないと自分で決める事が不安
・いつも間違えている気がする
・すぐに諦めてしまう
このワークショップで得られるもの
・自分の身体の声や状態がわかる
・自分が何に向き合えばいいかわかる
・解決の為に必要な心理的利得がわかる
・オープンカウンセリングが受けられる(1名様)
少人数でリラックスして参加いただける
お話会にしたいと思います
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