身体を痛めつけても手に入れたいもの
リトリーブサイコセラピー
夫婦・家族・心の問題解決
を専門としています
満月でしたね。。
でもなぜかベランダからお月さんは見えず
お月さんどこ行ってんねやろ。。。
と娘がぼやいていました。
おはようございます
セラピスト@橋屋奏古です。
さて今日は
「繰り返す怪我や体調不良のパターン」
について。お話させてください。
プロダンサーAさん。
いつも熱心に練習に励んでいる。
努力家でリーダー的存在な彼女は
生徒さんからも
チームの先輩や後輩からも
人気がある。
そんな彼女はいつも
怪我に悩まされている
膝や腰、捻挫も含め大会前や
イベント前になると
なぜか体調を崩す
というパターンを繰り返している
小学校教員Bさん。
明るく天真爛漫な体育教師。
中堅で任せられる仕事や
割り振りも増えて来た。
頑張って行事の準備もしているが
責任が多くなると体調を壊して休む
本番にはちゃんと来る。
というパターンを繰り返している
Aさんの中で何が起こっているのでしょうか
Bさんの中で何が起こっているのでしょうか
被害者視点をやめると見えるもの
心理的見解で見ると私はこう察します
「怪我をする事にメリットがある」
「体調を壊す事にメリットがある」
怪我にメリット?
痛いのにあるわけないやん!!
体調が悪いのにメリット??
って思いませんか?
それがですね、
実は深層心理の中ではあるんです
意識って深いんです。
人間はとてつもなく優秀なんです。
幼少期こんな体験をしていたらどうでしょう?
・病気になった時だけ優しく関わってもらえた
・親の期待から逃れるために病気になった
・病気になる事で嫌な事から逃げられた
・病気がちな親や家族をお手本にした
このように病気を学習するのです。
病気の時の心地良さを記憶するのです。
体調がすぐれない時に休むのは当然ですが
普段丁寧に関わってもらっていないのに
この時だけ強く関わってもらえる
という「強く関わってもらう」部分を
記憶するのです。
これは病気だけに言える事ではなく
DVや失敗した時なんかもそうですね。
身体や出来事は「辛い」のに
どんな事柄であれ大事な人との「繋がる感」
どんな事柄であれ、親と「強く」
関われて繋がってる瞬間を
本能的に「繋がり感」として人は
持ち続け求め続けます。
この場合は最初は軽い出来事だったのに
いつしかやめられなくなってしまうんです。
人はどこまでも親との「繋がり感」を
自分の深い所で求めているんです。
それが自分の身体に痛みを伴ってまでも
求めるんです。健気で切ないね。。
切ないピュアな気持ちが根底にあるんだけど
「メリット」もしっかりあるんです。
これを疾病利得といいます。
なので改善を望むときはこの「メリット」
にしっかり着目する事が解決の道なんです。
メリットはほんのりズルイ自分
病気になる事で逃げる事が出来たんです
病気になる事で責任取らずに済んだんです
さらには、病気になる事で
「成長しなくて済んだ」んです
目の前の課題やチャレンジから
「逃げる事ができたんです」
人間は生きていたら嫌でも
成長していかざるを得ない出来事が
次から次にやって来ますよね?
その中で挫折を知り
また進もうとする自分の力も知る。
そんな風に再生と破壊を繰り返し
自分の人生や軸ができていくんですが
その成長から逃げる事をしているんです。
このまま逃げる事を選び続けていると
・無意識に自分を粗末に扱い簡単に
怪我や病気、事故をする
・怪我や病気をして安心する
(結果を出さずに済む、責任取らずに済む)
・治したいと思ってもなかなか治らない
エスカレートすると自分だけでは足りず
子供を病気にさせたりもします
はい。ミュンヒハウゼン症候群なども
深い根っこはここにあると私は考えます。
AさんもBさんも大人ですが幼い頃に感じた
「繋がり感」が「
病気の時」だったんですね。
人間は一人では大きくなれません。
抱いてもらって肌の感触で暖かさを知り
目を見て微笑んでもらって
自分は安心してここに生きていいんだと
身体で知っていきます
その感触、感覚がたっぷりとたっぷりと
飽きるほどに溢れるほどに欲しいのが
幼少期の私たちの欲求なんです。
色んな理由でそれを得ることができなかった
また不足、枯渇していた人は
たくさんたくさんいます
安心に優るものはない
自分の身体を痛めつけてまでも欲しいもの
それは両親との愛情、信頼、安心感、喜び
なんですね。
そう思うと人って愛おしい生き物だなと思います
疾病利得はやめられます。
自分で選んだ事がわかると
自分で辞められるんです。
人生はいつでも選べます。
だけど自分一人ではなかなか向き合えません。
そんな時はどうぞセラピーをお使いください。
それではまた❤